ものQ日記

アラサーフリーター女の冴えない日々。

所ジョージの「世田谷ベース」をチラ見して思ったこと。

先日、所ジョージの「世田谷ベース」を見ていた。

このご時世なので「おうち時間」が何とかかんとか言ってやっていた。

番組を初めて見たのでよく分からないが、おそらく普段からタイトル通り、所さんの自宅兼事務所のガレージを中心に進めている番組だと思う。

趣味を持つ人々の憧れとしてよく話に出てくる「世田谷ベース」。

私はああいう、創造力と器用さを要する趣味は出来ないので、あまり興味がないのだが、「好きな人にとってはさぞかし楽しいことなのだろうな」と心の隅で少し思ったりはする。

放送を一度見ただけで、ニュアンスしか覚えていないのだが所さんは
「ここ(「世田谷ベース」)を真似しようとする人はたくさんいるけれど、同じものを作ることは出来ない。何故かというと、ここにある物にはひとつひとつ、ものすごく時間がかかっているから。」
という話をしていた。

所さんは例として、近くにあったミニトラックのおもちゃ(手作りのラジコン?アメリカっぽいデザインで可愛いもの。車に詳しくないのでよく分からないが。)を手に取ると

「これもね、24時間くらいかけて作ったの。何日もかけて、合計24時間ね。」

「(おもちゃに刻んであるロゴを指差して)このロゴ、プリントじゃないんだよ。レーザーでちゃんと入れたの。
知り合いの業者の人に"これやって"と頼んでやってもらった。
普通の人がいきなり"やってよ"と言ってもやってもらえないけれど、30年以上、毎週通って、お茶したり話したり(関係を作ってきた)したからやってもらえる。
だから、これ(車のおもちゃ)を作るのには結局、30年以上かかってるってことになるんだよ。」

「ここにあるキッチンだって、(きちんと手入れして)磨いているからこの状態なわけで。
似ているものを持ってくることは出来るけれど、これと同じようにはならないの。」

「だから、(「世田谷ベース」自体とそこにあるもの全てを指してる?)同じものは出来ないし、真似出来ないの。」

的な話をしていた。
(一度見ただけなので何となくのニュアンスである。言い回しや話の流れはかなり違うはず。記憶力が悪くて、申し訳ない。)

とても納得した。

そんなに若くもないくせに、何も為し遂げられていない私からしたら、めちゃくちゃ耳の痛い話だ。

表面的に見たら何でもないような物事でも、ちゃんと考えてみれば努力や積み重ねが必要なことなんてたくさんあるのだろう。

「あの人が出来るなら自分も…」と思って何かを真似する人は多いはず。だが、同じものは出来ない。
近いクオリティのものが出来たとして、同じではない。別にそれが悪いわけではない。
その人のオリジナリティがあることこそが、その存在意義だから。

所さんは数十年活躍し続けてきたタレントでコミュニケーション能力が高く、創作意欲も才能も人並外れている。
一等地に世田谷ベースがあって、さらに沖縄にも別荘がある。あと他にも色々ありそうだが。
そんな所さんの真似をしようとするとかなり大変だ。

別に同じようなものを似せて作る必要はないと思う。
その人が好きなものを好きなように楽しめる空間を作ればいい。

たまたま、所さんはああいう形になっただけであって、「世田谷ベース」は結果でしかないのだと思う。
(いや、もしかしたら、「世田谷ベース」有りきだったのかもしれないが。)

ガレージに色んなものを寄せ集めて見かけ上の「世田谷ベース」を似せて作る人と、見た目はかなり違っても「好きを極める」という本質的な「世田谷ベース」を作る人に分かれるのだろうと感じた。

で、「好きを極める」というのが空間の外観と持ち主本人の人柄で分かりやすく、多くの人が見ていてもストレスがないのが所ジョージの「世田谷ベース」だったからコンテンツとして人気なのだと思った。

だから、物が少ないのが好きな人にとってはミニマリスト的なスッキリした空間を作り、可愛いものが好きな人は可愛いものを寄せ集めた空間を作ればいいし、はたまた自然が好きな人は自然の中で調和した暮らしをするのがいい。
見た目が違っても、人それぞれの「世田谷ベース」を作ることは出来る。

しかし、その前に本当の自分の「好き」を知る必要があるだろう。
世間の評価や価値観を気にせず、自分に向き合って素直に「好き」を突き詰められる人は「好き」への努力を惜しまず、苦痛も感じない。

そのためには自分自身を知り、自分を愛することが必須であると思う。

後にまた整理してみようと思うが、今回はここまで。

こんなめちゃくちゃな文を読んでくださったそこのあなた、本当にありがとう。

では、また。